「生得的」であるかどうかは、もはやどちらでもいいのではないか。
2021/08/12 世界が個別なるものである場合
個別世界を徹底すると、個人的な観念をまた考えなければいけなくなりそうだ。意味も公共なものにするための手続きが必要になりそうだ。言語の位置付けも考え直さなければいけない。つまり300年ほど戻って再検討を要することになる。でもそれは結構楽しそうに思える。
2021/08/01 たいくつ
爪が伸びている。切ろうと思っているのだがつい忘れて家を出る。夏だから、陽水の歌を思い出す。
2021/07/30 論理学というもの
少し前から、論理学というものの存在をどうとらえたらいいか考えている。なかでも、風呂の湯に浸かったとき、ウォーキングの最中、寝入る寸前、に考えるのがここちよい。そしてここ2日、朝目が覚めた時に布団の中で、ふと思いつくことがあって、それを枕もとのiPhoneのメモ帳に書きとめた。こういうふうなことをしてみたかったので、けっこう楽しい。
2021/07/21 妻の菜園の現在
その後、きゅうりとスイカとつる豆は順調に成長して、途中追肥は施したが、病気になることもなく、結果を出し始めた。きゅうりは毎日3〜4本は採れ、豆は一昨日くらいから採れはじめたが、今朝は50本採れたという。スイカは小玉スイカだが、10cmほどのものが4つくらいあり、そのほか実をつけたものが4つくらいある。大きい方の実が重く沈み始めたので、妻はネットに入れて支えた。教科書によると受粉から23日くらいで収穫だそうで、その日は今月末である。というのも、テレビで教えられた通り、花をひとつ取ってほかの花に花粉をつけて回ったのである。強制受粉である。そのほかにも、妻によると、アブなどが飛び回っていたそうで、彼らのおかげかもしれないが、結果的に受粉はうまくできたらしい。妻はたくさんの実ができたことを喜んでいる。私は、喜ぶのは収穫したスイカを割ってみてからにしたほうがいいと言っている。皮が厚くて赤いところはわずかしかない、というスイカを今までに見てきたからだが、妻はいまは品種改良されているからそんな心配はいらない、とばかりである。単純で羨ましい。結果は月末に出る。
一方、トマトはさびしい。実はついているが、赤くなるにつれて実が割れてくる。ひねくれている。素直に成長しない。トマトは追肥がいらないような気がしていたが、そんなことはないということで、最近追肥したらしい。しかし、素直に成長しないのは何かの栄養が足りなかったのではないかと反省している。ナスは少しずつ採れている。でもやはりさびしい。
豆がこの先どっさり採れそうなので、そこを楽しみにしたい。
2021/07/18 論理学は強靭な体系であるらしい
論理学は、聞き間違いを認めない、ということのようだ。だからその構造は頑丈で、容易に崩せるものではないらしい。だから学問として成立している。だから、急ぐことはない。作戦を練る時間は十分にある。
2021/07/12 「命題」に気づく
【覚え書き】命題とは、世界についてのひとつの判断である。それはひとつの了解である。それを積み重ねて、自分が成立するのだと思う。命題とは論理学の用語と思っていたが、実は私を構成する大事な要素だった。