2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧

2021/06/29 大人の文章

ラッセル「現代哲学」p.255 「良い観察者は、自分の反応のうち、自分に固有のことには触れない。「小さく単調な光がチカチカし、目が疲れていらいらした。最終的にそれはしかじかの所で落ち着いた」などと言ったりせず、単に「値はしかじかだった」のように…

2021/06/28 画家は主観にこだわる

画家は主観にこだわる。 以下、ラッセル「現代哲学」p.232 「知覚には、画家のように逆らうべき特別な理由がないかぎり、印象の客観的要素をどんどん強調する傾向がある」

2021/06/25 ラッセル「現代哲学」三たび

また書くが、ラッセルの「現代哲学」第12章の見解が、それこそ現代哲学において主流でないらしいのは、ほとんど信じ難い。人間の歴史には、ばかばかしいことが多々あるが、ラッセルのこの言説を注目しない哲学学者たちとは一体どういうものなのか、あきれる…

2021/06/24 行動主義の破綻

ラッセル「現代哲学」第12章、p.194 「そしてさらに問題なのは、ラットの身体運動を知るためには、我々はまさにワトソン博士が避けたいと思っている類のデータ、すなわち自己観察する人にとっては明白だが、その人以外の誰にとっても明白ではない私的なデー…

2021/06/24 話題の泉

私は「ちきりん」さんのファンである。彼女はVoicyで配信を行なっているのだが、昨年9月に始めた配信は、毎日欠かさずに今日まで続いている。始めた当初はいつまで続くかわからないとおっしゃっていたのだが、毎日楽しそうに、1日も欠かさず、今日まで来てい…

2021/06/24 妻の菜園報告

つる豆の蔓がネットに絡まり始めた。ネットから離れているものは無理にネットに絡ませた。風で折れないように願っている。たぶん大丈夫だ。トマトも元気である。3本立ての3本が片側に偏っているので、一本を反対側に誘導するか、囲いを3本側に移動するか、昼…

2021/06/22 サワガニの隠れ場

朝の散歩のとき、高速下の田んぼみちでコンクリート道路を横切るサワガニに出会った。水辺から迷い出てしまったのだろう。このままでは交通事故に遭いそうなので、水辺に戻そうと思った。手でつかもうとしたら、いやがって逃げる。そしてハサミを持ち上げる…

ラッセルのカントへの言及

ラッセルの「現代哲学」第7章は推論に関するものだが、そこでアリストテレスの三段論法をコケにするついでにカントにも言及しているので、備忘録の役目がら、書き写しておく。 「我々が日常生活で実際に行う推論は、次の二点で三段論法とは異なる。すなわち…

行動主義心理学へのあやしみ

はじめてこの学問の名前を聞いた時は、あやしい学問分野だと思った。外から見て何がわかるのかと思った。しかしいま、ラッセルに説得されそうである。困った。

はじめて暗いと感じたのは

本を読んでいて、ふと思い出したので、せっかくだから書いておく。 高校の時、部活動の溜まり場に使える小部屋があった。ほぼ3年生しか入れない。その何月ごろだったか、部屋で1人で資料を眺めていると、KN君が入ってきた。そして「なんか暗いなあ」と言った…

下書き機能に頼る

何も考えずに書きはじめると、プライベートなことや、他への批評など、そのまま公開してはまずいことをつい書いてしまう。それを避けるために、こことは別に非公開日記のブログを書いている。毎日のメモや、思いついたこと、そういった個人的なことを秘密!…

ラッセル「現代哲学」その2

まだ第3章の前半だが、もう一度書いておく、この本はいい。ここにあるのは、分析哲学とも現象学とも違う哲学である。そしてこれが私にとっては本来の哲学であると思える。これが本邦初訳であるということが信じ難い。高村さんには本当にお礼を申し上げたい。…

妻の菜園の経過報告

つる豆の鳥の餌食事件は、ネットを両側に張ることで解決した。その後鳥たちは寄り付かなくなった。刻み藁はあまり効果を出せていないように思う。決め手はネットだった。その後つる豆は多くの芽を出して、食べられた分はほとんど気にならない状況になった。…

クワインやデイヴィドソンをスルーするということ

もはや私には時間がないので、哲学を学問として取り組む余裕はない。よって学問としての哲学あるいは分析哲学がたぶん避けて通れないクワインやデイヴィドソンを、私はあえてスルーするしかない。といえば聞こえがいいが、要するにこの辺は難しくて、時間を…

ラッセル「現代哲学」について

まだ4ページ読んだところだが、この本はいい。第1章は入門書だが、こんなに美しい、理にかなった入門書はなかった。でもそれは、私にとって、と但し書きが必要かもしれない。訳者の高村夏輝さんが言うとおり、ラッセルは現代哲学では忘れ去られているか、誤…

ベルクソンを仕舞う

本棚に新しいのを置くため、外すものを検討した結果、ベルクソンの第3巻以降をしばらく眠ってもらうことにした。仕舞う前にパラパラとめくったら、文章がとても読みやすく、小説のようであることに気づいた。細かいことは言わずに、そのように読めばいいのか…

つる豆のその後

実は棚の骨組みは組んであったものの、ネットは片側しかかけてなかった。反対側はもう少し伸びてからでいいと思っていた。きのう、もしやと思って反対側にもネットを張ったら、それからはすずめが来ていない。ネットはつるの足がかりだけでなく、防護の機能…

ラッセルの「面識」

ラッセルの「哲学入門」(高村夏輝訳)には、「面識」という用語がたびたび出てくる。この「面識」が私は大変気に入っている。センスデータと違って、悪くない概念だと思う。我々は、生まれてこの方、まず手足の動く範囲で空間を理解し、目で見える、手で触…

科学は自然を掬いあげる網の目にすぎない

科学の法則は自然をもれなく反映したものではない。自然から、法則として成立するものを、掬いあげているにすぎない。そして科学はもれたものたちのことを考えない。

つる豆の芽を食べるすずめ

うちの奥さんも今年から暇になったので、遊んでいた家の横の畑で遊び半分の野菜づくりを始めた。ナス、トマト、キュウリを2本ずつ、そしてつる豆を10粒2列蒔いた。2、3日前からつる豆の芽が出て、長さが長いもので5cmくらいになった。喜んでいたが、昨日の夕…

はじめに

暇なので、何か始めてみるのもいいと思ってこれを書き始めます。個人的な備忘録なので、ただそれだけです。 四泊堂は「しはくどう」と読みます。