クワインやデイヴィドソンをスルーするということ

もはや私には時間がないので、哲学を学問として取り組む余裕はない。よって学問としての哲学あるいは分析哲学がたぶん避けて通れないクワインやデイヴィドソンを、私はあえてスルーするしかない。といえば聞こえがいいが、要するにこの辺は難しくて、時間を…

ラッセル「現代哲学」について

まだ4ページ読んだところだが、この本はいい。第1章は入門書だが、こんなに美しい、理にかなった入門書はなかった。でもそれは、私にとって、と但し書きが必要かもしれない。訳者の高村夏輝さんが言うとおり、ラッセルは現代哲学では忘れ去られているか、誤…

ベルクソンを仕舞う

本棚に新しいのを置くため、外すものを検討した結果、ベルクソンの第3巻以降をしばらく眠ってもらうことにした。仕舞う前にパラパラとめくったら、文章がとても読みやすく、小説のようであることに気づいた。細かいことは言わずに、そのように読めばいいのか…

つる豆のその後

実は棚の骨組みは組んであったものの、ネットは片側しかかけてなかった。反対側はもう少し伸びてからでいいと思っていた。きのう、もしやと思って反対側にもネットを張ったら、それからはすずめが来ていない。ネットはつるの足がかりだけでなく、防護の機能…

ラッセルの「面識」

ラッセルの「哲学入門」(高村夏輝訳)には、「面識」という用語がたびたび出てくる。この「面識」が私は大変気に入っている。センスデータと違って、悪くない概念だと思う。我々は、生まれてこの方、まず手足の動く範囲で空間を理解し、目で見える、手で触…

科学は自然を掬いあげる網の目にすぎない

科学の法則は自然をもれなく反映したものではない。自然から、法則として成立するものを、掬いあげているにすぎない。そして科学はもれたものたちのことを考えない。

つる豆の芽を食べるすずめ

うちの奥さんも今年から暇になったので、遊んでいた家の横の畑で遊び半分の野菜づくりを始めた。ナス、トマト、キュウリを2本ずつ、そしてつる豆を10粒2列蒔いた。2、3日前からつる豆の芽が出て、長さが長いもので5cmくらいになった。喜んでいたが、昨日の夕…

はじめに

暇なので、何か始めてみるのもいいと思ってこれを書き始めます。個人的な備忘録なので、ただそれだけです。 四泊堂は「しはくどう」と読みます。