クワインやデイヴィドソンをスルーするということ

もはや私には時間がないので、哲学を学問として取り組む余裕はない。よって学問としての哲学あるいは分析哲学がたぶん避けて通れないクワインデイヴィドソンを、私はあえてスルーするしかない。といえば聞こえがいいが、要するにこの辺は難しくて、時間をかけても成果が望めない感じである。よって横目に見て通る。あえていえば、ここをスルーしても私にとってはたぶん問題ないのだと思う。それよりも、自分にとってずっと重要と思えるラッセルに行きたい。オーディエンスはここで笑わないように。