ラッセル「現代哲学」p.255
「良い観察者は、自分の反応のうち、自分に固有のことには触れない。「小さく単調な光がチカチカし、目が疲れていらいらした。最終的にそれはしかじかの所で落ち着いた」などと言ったりせず、単に「値はしかじかだった」のように言うのである。こうした客観性はすべて訓練と経験のたまものである」
これは物理科学的事実の観察者の態度に言及した箇所である。しかし、そこで思いついたことがある。この態度は、「観察者」を「文章」に置き換えて、成立しそうではないか。
昔、妻に文章を添削してもらったとき、徹底して指摘されたのは、この「表現の客観性」ということだったのではないか。